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さて、いかがなものかと?

暮らしに役立つ情報をメインとし、超常現象や都市伝説、さらに新作映画のレビューを掲載しています。

建国記念の日 神様との関係は?始まりは神話の中にあり!?

日本最古の物語と言えば、それは古事記です。

その中に登場する神武天皇こそが、今回お話しする建国記念の日と関係がある神様です。

歴史の教科書でしか知ることのないこの天皇陛下の祖先が、日本を作った最初の人だと信じられています。

 

 

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はたして、神武天皇を人と呼んでもいいのかさえはばかられるところです。

しかしながら、日本の政治家の中にも神武天皇が実在した人物だとする考えがあるように、一部では神話を超えて語り継がれています。

建国記念の日と神武天皇の関係とはいかに?

この根拠のない都市伝説にも似た話しを、独自の観点から調べてみました。

 

 

建国記念の日とは

 

 

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何やらモンストのヤマトタケルなのだそうですが、神武天皇とは脈絡がないですね。

 

 

2月11日を建国記念の日とした理由は、その日が神武天皇の即位した日とされているからです(神武天皇は日本の最初の天皇です。少なくともそう言われています)。

そもそもは、紀元前660年の1月1日だったそうですが、明治に入って新暦に計算し直したところ、2月の11日になったそうです。

2017年に660年を足すと2677年になりますが、要するに2677年前の資料からそう決められました。

 

紀元節を語る場合、日本には西暦の他に皇紀(こうき)と呼ばれる年の数え方があるのを思い出します。

この皇紀こそが、神武天皇が建国をした年(紀元前660年ね)から始まった、日本本来の紀年法(年数の記録法)なのです。

明治5年の11月15日には日本の暦として公にされましたが、それも今では知られておらず、ほぼ使われていません(神道の関係者、神社とかでは今でもポピュラーです)。

 

そんな昔のことですが、古事記や日本書紀などにも記述が残っており、これを日本の国が作られた記念日としています。

 

 

紀元節の廃止

 

紀元節を語る前に、日本には四つの大きな祝祭日がある(あった)のをご存知ですか?

1月から順番に挙げると、先ずは四方拝(しほうばい)、次に紀元節(きげんせつ)、そして天長節(てんちょうせつ)と続きます。

もう一つは明治節と呼ばれる日ですが、これは明治天皇の誕生日であり、後々「文化の日(11月3日)」として改められました。

 

では、四方拝の説明ですが、これは皇室内で行われる祭祀(天皇陛下が行われるお祭り)です。

毎年1月1日の朝早くに行われ、世界中の人々や、自然や、果ては宇宙までが、幸せに、そして豊かであるようにと願う儀式です。

この儀式は、天皇陛下自らが京都御所にある清涼殿にお越しになり、そこで私やあなたに代わってお祈りを捧げて下さいます(天皇陛下のお仕事は、国民が想像する以上に大変なんですね)。

 

そして、次に来るのが紀元節ですが、もとは明治時代(1872年)に決められた建国記念日でした。

それが、ワケあって1948年に廃止になり、1966年からは「建国記念の日」と呼ばれるようになったのです(これに関しては下で説明します)。

当時は、誰に遠慮することもなく、神武天皇が即位された日(紀元前660年1月1日)として祝っていました。

 

そして最後の天長節ですが、これは天皇陛下のお誕生日のことです。

現在の陛下のお誕生日は12月23日ですが、皇太子が次の天皇に即位した場合はこの日も変わります。

1873年から続いており、ちなみに皇后様のお誕生日は地久節と呼ばれています。

 

 

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紀元節はどうして廃止になったのか?

これは、日本が先の大戦に敗北し、政府がGHQの占領下に置かれていた頃のお話です。

紀元節を廃止した最も有力な説は、「日本人が紀元節を祝うことで再び国力をまとめ、ともすると連合軍に歯向かってくるのではないか」といった不安を解消するため、とされています。

忠臣蔵でも代表されるように、仇討ちとか敵討ちは、日本人のお家芸だと信じられていたからです(それが証拠に、戦後の日本では暫く時代劇が禁止されていました)。

 

日本を占領するに当たり、GHQは日本人の心理を細かに分析したようです。

その結果、再び天皇を祭り上げて連合軍に仕返しをしないようにと、紀元節を廃止したのです。

とにかく、アメリカ人が一番恐れたのは「大和魂」であり、それを堅持するのは天皇性だと考えていたようです。

 

しかしながら、政府の中には紀元節を復活させようとする考えが強く、社会共産主義的政党の反対に阻まれながらも、1966年に国民の祝日として定められました(内容は同じでも紀元節とは言わずに)。

ただし、神武天皇が即位された史実を裏付けるための祝日ではなく、飽くまでも建国された事実だけを祝う日として建国記念の日(ここが非常に重要で、記念日とはしていません)とされています。

とにかく、どうしても紀元節の形だけでも残したいがために取られた、ある意味「苦肉の策」とも言えます。

 

 

神武天皇とは?

 

紀元節が神武天皇を祀った祝日であることは分かりました。

しかし、そもそも神武天皇とはどんな人物だったのでしょうか?

日本書紀にはこの方の記録が残されていますが、名前を聞くことこそあれ、その実像は今も闇の中です。

 

日本最古の書物の中に登場し、はるか昔に大和を平定した武人でありまた神でした。

とにかく、この時代は神と人との関係がとても近く、大和を征服したのは神の末裔であり、実際に物語の中には天照大御神(あまてらすおおみかみ)も登場します。

これが天皇が神と称される理由であり、いかんせんとてもファジー(形のはっきりとしない)な部分です。

 

神武天皇は、即位するまでは神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)と名乗り、即位してからは神日本磐余彦天皇(かんやまといわれひこのすめらみこと)と呼ばれています。

古事記や日本書紀に残されている人名には様々な解釈の仕方があるらしく、人によっては読み方まで変わります。

この2つの書物の中でさえ、それぞれに漢字の読み方や、さらにはストーリーの記述すらも違います。

とにかく逸話の多い人ですが、現在では、ほぼ創作された架空の人物と見なされています。

 

ちなみに、サッカー日本代表のロゴには八咫烏(やたがらす:三本足のカラス)が描かれています。

これは、神武天皇(この時はまだ天皇ではない)の率いる軍隊が非常に厳しい戦いを強いられていた時に、天照大御神が磐余彦に送ったとされる不思議な力を持つカラスで、険しい山の中から彼らを導き出した命の恩人でした。

この故事(?)にちなんで、胸のマークの八咫烏も、日本を勝利に導く役割を担っていると言われています。

 

明治店の玄孫(やしゃご:孫のそのまた孫)にあたる竹田恒泰さんによると、神武天皇は実在したそうです。

その論理はさておき、神武天皇が深く日本人の心に生きていることだけは、紛れもない事実です。

 

 

終わりに

 

アメリカのように、建国が200年そこそこで、写真や出版技術が発達していた頃ならまた話は別ですが、3000年近く前ともなると、どこからどこまでが事実なのかは皆目検討も付きません。

古い書物を紐解いて、遥か太古に思いを馳せるのはいいとしても、今度はそれを証明する手立てがありません。

「温故知新」と言われるように、古きを訪ねるのは今を知る手がかりとして有効ですが、それが必ずしも幸せに繋がるとは限りません。

 

「ミイラ取りがミイラになる」とも言われるように、あまりに古いことは、手を付けずにそのままにしておくのが良さそうです(史実は必ずしも事実ではない)。

下手に関わると、やりたいこともできずに人生を終えることになるやもしれません。

神武天皇が実在し、紀元前660年に建国されたと言われるのなら、そのまま承知するのもありでしょう。

 

個人的には、どちらでも構いません。

とにかく、2月11日は「建国記念の日」であり、日本が2017年もの間存続していることを物語っています。

この先どこまで続くかは分かりませんが、この先1000年経っても残っていて欲しいものですね。

 

2月11日がいい日になりますように。

 

 

暴力的ではないにせよ、怖い女ですよ、この人は。

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