大山茂氏が亡くなった。
ニューヨークで自身の道場を開いて、日本とのしがらみが失くなったように見えたが、それでも何かと黒いウワサは絶えなかった。
梶原一騎氏が亡くなり、次いで大山倍達氏が後を追い、そして真樹日佐夫氏も今は亡き人となっている。
極真空手創設時のエピソードを知る人も、今や僅かとなったようだが、ネットで出て来る記事以上に、その実態は闇に紛れていた。
中村忠氏の足を6発の銃弾が貫いたのも、茂氏がアメリカで道場を構えてからだった。
さて、誰が忠氏を傷め付けて得をするのか、少し考えれば分かるだろう(貴兄の期待に添えずに残念だが、画策したのは茂氏ではない。その遥後方にいた人物)。
当時、最強と呼ばれていたのはチャールズ・マーチンであり、ウイリー・ウイリアムスは気の弱いただ体の大きな黒人だった。
しかし、興行の上手かったのは茂氏で、極真を離れてからは独自の路線で道場の経営に勤しんだ。
芦原会館を脱退し新団体を設立した石井某と組んだのも、US大山空手を開いてからだった。
ウイリーと佐竹を戦わせることで、まだ日の浅い正道カラテの、その大会でのハイライトとした。
元々それほど強くはなく、ピークの過ぎたウイリーなどは、佐竹でも相手ができるくらいのレベルだったのだ。
むしろ、強かったのはアンディー・フグだが、それも他道場の精鋭からすれば平均的で、大きな大会ができずに燻っていた連中が相手だったら決して勝てはしなかっただろう。
米国に渡った空手家は、日本の空手界に嫌気が差した人が多かった。
二宮城光(後芦原会館、現円心会)、岸信行、三浦美幸、そして中村忠も極真から出たが、いずれも自身の道場を持っている(敬称略)。
如何に梶原氏の力が大きかったとはいえ、一介の空手道場の経営者が、日本の総理や他国の国王と面識などあるはずがない。
国会議員との蜜月にも及ぶ癒着など、到底考えられないところだが、なぜか大山倍達氏にはそれが出来た。
今は、極真空手と呼ばれているが、当初は極道空手になる予定だった。
だが、そう命名されるはずが、あまりに人聞きが悪いので、極みの後に「真」の字をあてがって極真となった。
ウソだと思う人も多いだろうが、それならばなぜ極真会は3つの団体に割れたのか?
利権と反社会勢力との切っても切れない関係から、母体を見限って純粋に空手を追求しようとした者達の、苦心の末の行動ではなかろうか。
とは言え、K-1のように、反社会勢力からは離れられずに、限りなく黒に近いグレーの中で生き残る手段を選んだ者もいる。
五木ひろしがいた事務所は、元を正せばキックボクシングのジムだった。
手売りで入場券をさばき、沢村忠を有名にしたのは、五木ひろしの生みの親でもあるジムの会長、野村修氏。
反社会勢力とはズブズブの関係を持ち、亡くなった山口組五代目とも仲が良かった(実際に本人から聞いたので本当)。
日本の空手界は、キックボクシングが始る以前から、既に暗黒街の連中とのしがらみで雁字搦めだったのだ。
暴力団の構成員にも、真面目に空手に励んでいた者もいた。
彼が今もそうなのかは知らないが、少なくともそうした履歴を持つ輩が空手関係の業界にいるのは確かな話。
日本では、キックボクシング、シュートボクシング、ボクシング、総合格闘技、プロレスなど、およそ興行と名の付く場所には反社会勢力の影がちらつく。
そこからすれば、アメリカは天国なのだ。
アメリカでは、今でも道場破り紛いのことをする、ちょっと切れた奴もいる。
しかし、それはそれで構わない。
ただ、強さを求めてのことであり、銃やナイフを持って襲いに来るのではないのだから。
飽くまで、素手で向かってくるところは見上げた度胸だ。
勝てるといった自信がどこから湧いてくるのかが不思議だが、それでも「やってみよう!」とする思い違いは美しい。
大抵の道場破りは返り討ちにあって、痛い目だけを見て帰る。
以上の予測不能な事態を除けば、アメリカでの道場経営は、簡単ではないが楽しいだろう。
円心空手の創始者である二宮氏は、日本でも組織は運営されているが、あちらでの生活の方が充実しているのではないか(今は、お家騒動のまっただ中かもしれないが)。
知事室ともツーカーで、地元の名士にも入る。
チンピラやヤクザのいない世界で(いてもほぼ無関係)、十分に羽根を伸ばして好きなことが出来る。
日本にいれば、鬱陶しい連中との付き合いがあり、思うことも出来ないだろう。
大山茂氏においても、おそらく同じことが言えたに違いない。
道場生にギャングやマフィアがいたとしても、それ以上には関係が深まらない。
日本とは違うのだ。
彼らは、リスペクトする相手にはとことん触れない。
何でも利用しようとする日本の反社会的勢力とは事を異にする。
むしろ、日本の方が、義理とか節度とかには敏感であるはずが、いつの間にか「道」の意味も弁えない輩の増えたことだ。
子供が出来て孫も生まれ、彼の血は今後も脈々と受け継がれる。
国籍がどうのと言われることもなく、真に自由に生きられた。
好きな空手に精を出し、ただそれだけで家族を養い、ニューヨークではちょっとは知られた存在だった。
日本に帰国した時は色々あったのだろうが、アメリカに戻ればそんなの関係ね~。
幸せだったと想像できる。
ニューヨークで彼女(当時の)とデートをしていた時に、ある焼鳥の屋台で食事をしたことがあった。
本場日本よりも旨いくらいの料理に驚き、また働いている人にも驚いた。
US大山の道場生で、寒いのに下駄を履き、屈んで客に見られないようにしながら賄い飯を食っていた。
その彼の手を見れば、青みがかった拳ダコで覆われていた。
本気で空手の修行に来ているのは、その立ち居振る舞いで分かった(めっちゃ腰が低い好漢)。
キックだ、総合だのと言いながら、夜な夜な遊びまわっている連中には、彼の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいね。
ちょっと活躍すれば直ぐにサムライだのと、何かと安売りが目に付く今日此の頃だが、本物はまだまだ日の目を見ずにいる。
出来れば、そんな彼ら彼女らを、応援してやりたいってもんだ。
今後も頑張って欲しいものである。
大山茂氏のご冥福をお祈りする。