折しも、「感謝」について書こうと思っていたら、今週のお題が、「私の心を癒してくれるもの」だった。
癒しの方法にもいくつかあるが、他者に頼らずに癒されるのなら、それに越したことはない。
わざわざ、パワースポットに出かける必要もなければ、その場限りの「優しい言葉」に耳を傾けるまでもないからだ。
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ペットはなるほど癒しになるが、これも他力本願と言えそうで……。
人間には、自浄作用や自然治癒力が備わっており、自らを癒す力は持っている。
私にとっての最高の癒しとは、「感謝」することに他ならない。
心理学でも立証された「感謝」の力
心理学者(ロバート・エモンズやマイケル・マッカロー、それにベン・シャハーなど)の研究によれば、毎日感謝の気持ちを5つ書き出すだけで、確実に生活が好転するとしている。
グループを二つに分けて実験したところ、「感謝」の気持ちを書き出したグループは、日々の生活に充足感が得られ、最終的に暮らし向きが良くなった。
相対するグループでは、残念ながら期待するだけの結果は見られなかった。
感謝の影響日誌(縦の線が幸福感で、横の線が感謝する練習を始めた経過日)
「感謝」とは、本来は自然に生じる感情であり、人為的に作り出すものではない。
しかしながら、被験者に感謝の気持ちを書き出す練習をしてもらったところ、誰もが幸福感を得られるまでになった。
この「幸福」を感じることこそが、何事にも代えがたい「癒し」ではなかろうか。
しかも、他者に依存する必要などもなく、全てが自身のうちで完結する。
たとえ、不満で溢れたような社会でも、常に何かに「感謝」できる気持ちがあれば、心は自然と癒されて行くようだ。
感謝の力を最大限に発揮する方法
「感謝の力」の恩恵にあずかりたいのなら、まずは「あたりまえ」なことに目を向けてみるといい。
「スマホは使えてあたりまえ」、「蛇口から水が出るのはあたりまえ」、「電車はダイヤ通りに来てあたりまえ」などなど、日々のごく「あたりまえ」とされる出来事に感謝してみることだ。
今は「あたりまえ」でも、ひとたび自然災害に見舞われれば、普通は普通ではなくなり、異常が普通に取って代わる。
そんな時、普段はありがたみも感じないコンビニが、途端に救世主に思えてくるものだ。
狭く小汚い部屋であっても、雨風をしのげることに涙するかもしれない。
それまでは身近にあった「あたりまえ」に、まずは感謝できるだろう。
そこで、身近にある「あたりまえ」に感謝ができるようになれば、次はその気持ちを書き出してみよう。
真新しいノートを用意し、今日感じた「感謝」を文字に書き記すのだ。
ノートには、「このノートに書いたことは全て実現する」と、明記しておくといい。
それがどんなささいなことでも、少しでも「感謝」できるのなら書いておく。
書く場合のルールだが、けっして皮肉は書かないようにする。
たとえば、一時期流行った「幼稚園落ちた、行政に感謝する」など、ネガティブ意識とポジティブを同居させてはいけない。
書くのなら、「今日も五体満足でいられたことに感謝する」とか、「洗濯物が早く乾いた、ありがとう」とか、一見愚にもつかぬような内容で構わない。
感謝の気持ちを重ねることで、あなた自身がどのような生活環境に置かれていようと、それを脱却できる力を身に付けることができるのだ。
要するに、何事にも「感謝」する心を育めば、人生は自然と好転するのである。
「感謝」こそが絶対不変の成功法則
世の成功者たちは、おそらくは一人の例外もなく、日々の生活に「感謝」していることだろう。
あのドナルド・トランプ氏でさえも、彼をあそこにまで押し上げた、不動産業には感謝しているはずである。
その他の事については定かではないが、スタッフや家族には、いくばくかの「感謝」の念を忘れてはいまい。
ウォーレン・バフェット氏や亡くなったスティーブ・ジョブズ氏も、日々の生活や家族には多大な感謝を示している。
感謝することが自浄作用(癒し)なら、彼らはストレスですらも自身で解消しているわけだ。
世界的に影響力を持つ多くの成功者も実践しているのなら、やはりそれ相応の効果が期待できるのだろう。
「感謝」によって得られる力は、今や絶対不変の成功法則と言えそうだ。
終わりに
とは言え、知ったかぶりで話してみても、全ての事に「感謝」するまでには時間がかかる。
もしも、世界の人口の三分の一が、何らかの形で心を一つにできれば、戦争も貧困も差別も、おおよそネガティブの代名詞とされることは解決できるらしい。
「生きていることに感謝」できれば、今よりは少しマシになるに違いない。
「感謝、感謝」と、どこかの宗教を宣伝しているわけではないが、感謝の気持ちは大切にしたいと思う。
なぜなら、感謝の対極にあるのは「おごり」であり、おごる者は久しからずと相場は決まっているからだ。
私の心を癒してくれるもの、それは「感謝」することだ。